名もなき毒
“「いいえ、普通です。今時の、もっとも普通の、正直な若い女性ですよ。正直すぎると言ってもいいくらいです」”
理不尽な悪意にぶつかった時、作中のこのやり取りを思い出す。世の中はいい人ばかりではない。優しさは、当たり前に存在するものではない。当然のことなのに、時々それを忘れてしまう。
“「私には、その意味がわからない。彼女は嘘つきだし、どこからどう見ても普通の人間じゃないでしょう」
北見氏は物憂げな口調で問い返してきた。
「じゃ、普通の人間とはどういう人間です?」
「私やあなたが、普通の人間じゃないですか」
「違います」
「じゃ、優秀な人間だとでも?」
「立派な人間と言いましょうよ」北見氏は疲れた顔で微笑んだ。
「こんなにも複雑で面倒な世の中を、他人様(ひとさま)に迷惑をかけることもなく、時には人に親切にしたり、一緒に暮らしている人を喜ばせたり、小さくても世の中に役立つことをしたりして、まっとうに生き抜いているんですからね。立派ですよ。そう思いませんか」
「私に言わせれば、それこそが"普通"です」
「今は違うんです。それだけのことができるなら、立派なんですよ。"普通"というのは、今のこの世の中では"生きにくく、他を生かしにくい"と同義語なんです。"何もない"という意味でもある。つまらなくて退屈で、空虚だということです」
だから怒るんですよ、と呟いた。
「どこかの誰かさんが、"自己実現"なんて厄介な言葉を考え出したばっかりにね」”
本当に立派な人は、気遣いを気遣いだと、それが「立派」な行為だと、思わずにしている。優しいね、と言われると『それくらい普通だよ』『人として当然のことをしたまでだよ』とへりくだる。それに対し、誰かの立派な行為が挙げられ、賞賛されている時には、『それくらい普通だろ』『優しくもなんともない』と揶揄する声がある。
謙虚さが美徳だとされている風潮も影響はしているが、自然と誰かに優しく出来る人がいる一方で、息するように、毒を吐き他人にぶつけ続ける人はいる。でもそれは、その人が「おかしい」わけではない。なぜならその人たちこそが、この世界の「普通」だからだ。
辞書を引くと"普通"とは、ありふれた事、あたりまえであるさまと説明されている。"普通"は程度が低いもの、当たり前だとされているが、その水準は高いものとなっている。
“「つまり、私と北見さんでは、"普通"の定義が、違うってことですよ」
「しかしあなたは、私とあなたのどちらの定義でも、"普通"の範疇からはみ出している」”
あたりまえのものは、あたりまえではない。
繰り返されるフレーズだが、この作品を読むと、身に染みる。